Sunday, November 4, 2012

世界有数の科学ジャーナルもあきれる日本のメディアのレベルの低さ

iPS細胞を心不全の患者さんに臨床応用したという森口尚史氏の嘘の業績を読売新聞が大々的に報道したことは記憶に新しいですが、それに関して世界有数の科学ジャーナルである「ネイチャー」が痛烈に批判している記事をつい先日発表しました。

基本的に私は英語論文などを日本語訳するのがとても嫌いなのですが、それをもってしてもこの記事はぜひ広く読まれるべきだと思ったので簡単ではありますが日本語に直してみました。元記事はこちら



恥ずかしいことに山中伸弥教授のノーベル賞受賞という偉業が森口尚史氏の口からでまかせで汚されることになってしまった。山中教授が確立したiPS細胞関連技術を使用して心不全の患者の治療にあたったという話をでっちあげたのだ。

ジャーナリズムの質が低いことによりこの話があんなにも広く報じられてしまった。これはことさら科学記事に特有のことではないだろうし、日本だけの問題でもない。それでもなお読売新聞の森口氏の「功績」に関する報道には大変失望したし、日本経済新聞など他の新聞もこの10年の長きに渡り裏を取らずに森口氏を記事に載せてきてしまったということを認めている。確かに、科学者の研究というものは本質的に難解であるので、科学について報道することは時に恐ろしいことである。なので今回は記者の皆さんが専門家に挑む際に役立つ実践的なステップを紹介しよう。

まずは論文を読むことから始めてみることだ。科学者は皆自身の研究結果を公に発表するものである。していなければこの時点で赤信号だということになる。論文には科学者の所属機関も書いてあるので、疑わしい点があったとしても、本当にそこで働いているかどうかは簡単に確かめられる。(実際ハーバード大学にメールの1本でも送っていれば読売新聞もあんなに恥をかくことはなかっただろう)また、論文には共著者の名前も書いてあるので本当に論文中の研究を行ったのかどうか簡単に確かめられる。他にも記載されている資金供与者に連絡すれば実験に使用した資源が本当にあったのかどうか調べることもできるし、利益相反に関する項を読めば潜在的にバイアスがあるかどうかを明らかにすることもできる。

そして何より重要なのは論文執筆者とは協力していない他の研究者にその研究の重要性や実現可能性について話を聞くということだ。大抵の場合、論文のリファレンスを見ればそのような研究者を見つけることが出来る。もしもそのような人を見つけることが出来なければ(ちなみに適切なリファレンスがないというのも危険信号だ)ネットで検索すればすぐに何人か見つけられるだろう。また、恐らく他の地域より北アメリカやヨーロッパの方でより顕著であろうが、科学者は論文内に研究に関係のないどうでも良い内容は普通排除しようとしている。本当に論文に価値がなければ読んでみればすぐに分かる。

確かに森口氏は最新の研究データはまだ論文化されていないと言っていた。しかしそれを聞いて疑問が生じたはずだ。何故森口氏は研究結果をまずメディアに報告したのだろうか。そうしなければならない科学者もいるにはいるが森口氏はそのケースには当てはまらない。何故革新的な結果を得たと主張しているのにも関わらずネットで検索してもその分野で全くといっていいほど何の業績も残していないのか。何故彼は存在しない大学のiPS細胞の研究機関で働いていると嘘をついたのだろうか。

そして何故彼は全くの新しい、研究が始まったばかりの技術を臨床現場に持ち込んだのだろうか。ネイチャーは直接これらの疑問を彼にぶつけたが状況は更に悪くなるばかりであった。例えば、何故彼は共同研究者の名前を挙げるのを拒んだのだろうか。ちょっとつついただけで曖昧な供述が溢れてくるという有りさまであった。

皆どこかしらで嘘をついてごまかすこともあるが、日本の場合、問題なのは嘘でごまかすことよりは他人の嘘を報告しないという文化的背景にあるように思われる。日本の科学者は自分たちの同僚に対して批判的な思考をすることが余りない。これは日本では欧米などと比較して内部告発者に対する保護が薄く、せっかくのキャリアをふいにしたくないと思うからかもしれない。また、日本のジャーナリストたちも科学者を前にすると借りてきた猫のようにお行儀よく、何も突っ込んだ質問をしなくなる。もしかすると「○○先生」という言葉のイメージにビクつきながら場違いな質問をすることを恐れているのかもしれない。そして、恐らく英語に自信がないか時差の違いを気にしているのか、海外の研究者に連絡をしないで済ませることもしばしばだ。

状況は現在日本で流行している「iPS細胞マニア症候群」によってさらに悪化している。山中教授の先駆的な業績に熱狂するあまり、メディアはまずiPS細胞にまつわる新しい話題ばかりに群がり、報道の質を度外視することもままある。この傾向はiPS細胞への偏狭的とも言える執着もあってますます大きくなっている。ニュースを見れば猫も杓子も「iPS細胞を臨床応用しようと国際的な競争が激しくなっており、このままでは日本は負けてしまうかもしれない」と伝えている。この危機感が森口氏をして2009年のネイチャーの読者投稿欄で「日本はiPS細胞研究で他国に遅れをとるかもしれない」と書かせ、そして読売新聞の記者には「アメリカの柔軟な認可システムにより森口氏は研究が継続できたのだろう」とまで言わせたのである。

今回の件はもう本当に間抜けとしか言いようがない。iPS細胞技術の美しさはノーベル賞受賞の決め手にもなったように科学者ならそれを誰でもどこでも簡単に使うことができるという点なのだ。もしも日本が山中教授の業績をそこまで誇りに思うのなら、同様に世界中のありとあらゆる業績について祝辞を述べるべきだ。そして、もし記者がその業績の重要性を理解したいのであれば国際的な感覚を磨くべきなのだ。(以上翻訳終わり)


ネイチャーが日本の報道レベルの低さに警鐘を鳴らしている最中、産経新聞がさっそくメディアの危機感の無さを露呈するかのような記事を公開しました。
「単語の意味が分からず、言葉というより機関銃の弾のようにも感じた」

なんとも情けない記事で読んでいて目眩すら感じました。当事者である記者が「理解不能」とまで言及しているのにも関わらず、分かっていてその問題を放置している日本のメディアが今後改善していく可能性はあるのでしょうか。別に科学記事を書く人間はみな理系学科を卒業しているべきであるとは思いませんが、

「事件取材や人物紹介の取材で身につけた要領でやれば大丈夫だろうと思い、特に構えることもなく草津市役所で行われた記者発表に臨んだ」

と取材対象についてほとんど何も調べることもなく、研究者の話が分からないのを自身が「私大文系卒」だからと言い訳するような記者に任せている時点で、彼らの目指す

「普通の人が感じる疑問を専門家に質問し、普通の言葉で文章にしていく」

という目的は到底達成できないと思いました。昨今既存メディアのありかたについて様々な議論が交わされていますが、個人的にはこのままでは新聞やテレビなどのメディアは将来消えてなくなることすらありえるかもしれないと感じさせられました。

4 comments:

  1. 読売などの報道は論外ですが、参詣新聞のブログ、笑い事ではないです。読者に分かりやすく説明するのは新聞記者の大事な役割ですが、自分の理解できていない事を理解したように説明するのは詐欺行為。部下の記者に印象だけで判断させる上司の質の悪さ、さらにそれをブログに書いて恥じない記者の存在。産經新聞らしいですね。それに、大学側の記者発表も専門用語を羅列しての発表は、当人が事の本質を理解していない証拠。私もプロジェクトを代表して研究成果の記者発表の経験がたびたびありましたが、平易な説明+文系職員からの鋭い指摘、を受けた後の発表でした。要するに、大学、報道の基礎能力の低下。確かに日本の大学生の質は極端に低下しています。こういうことで日本が崩れていくのでしょう。

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    1. 大学教育の話はひとまず置いておくとして、報道に関しては今回の件を期に過度な商業主義に走ることなくジャーナリズムの基本に立ち返って欲しいですね。また我々情報の受け取り手もきちんと情報を吟味して報道が本来の役割を果たすよう圧力をかけていく必要がありそうです。

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  2. 新聞記者がかわいそうなのは、基本的には当日に起こった新しいこと(または過去の情報との差分)だけが報道の対象となること。持ち帰ってゆっくり検討する時間もなければ、予習も難しい。したがって、外部に頼れる人脈がないと、Natureの記事にあるようにおかしな事になる。自然科学の分野は(他の分野もそうかもしれませんが)極端に細分化されているので、この人脈作りが難しいのでしょうね。

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    1. やはり根底には報道の過度の商業主義化があるのではないでしょうか。いくら民間企業であっても報道という性質上インフラストラクチャとしてある程度利益を度外視しても厳密性を保つ努力はしてもらいたいものです。

      今回の報道も同時期にNHKなども情報を得ていながら信頼性に薄いとして報道しなかったとのことなので、報道前に記事を精査することはそう難しいとも思えません。その際に人脈が必要となるケースもあるでしょうが、正当な報道組織が公にされている研究機関などに連絡することはさほど大変なことではないでしょう。やはり功を急いで基本を疎かにしてしまった報道機関の責任は重いと思います。

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